形見

形見という言葉を聞いたことがある人はたくさんいるでしょうし、実際に形見をお持ちの方もたくさんいることと思います。

形見とは亡くなった人の持ち物をその人の思い出として受け取ったものをいいます。

両親やそのまた両親、友人だったり、親戚だったり、関わりのある人のものを譲り受けるのです。

思い出の品であったり、故人を思わせるとても大切なものとなります。

形見分けは特にきまりがあるわけでもなく、しなくてはいけないことでもありませんが、亡くなった人の持ち物を整理しなくてはならず、処分するだけでなく、誰かに譲ったりする事から形見分けということにもなることもある様です。

とても悲しく、とても怖いことでもありますが、死は必ず誰にでも訪れることです。

もし自分にその時が来たのなら…と考えることはありますか。

若いときにはそう考えられることではないし、身近で不幸がなかったら本当に頭にはないことでしょう。

でも、誰でもいつどんな形でその時を迎えるのかはわかりません。

では、もし自分が亡くなったら、自分の物を誰かに託したいと思いますか。

大事にしていた物を子供に譲り受け取ってもらいたい、友人に譲り受け取ってもらいたい、恋人に…など、その思いは人それぞれだと思うのです。

時にはそんなことを考えておくのもいいのではないでしょうか。

大切な物がどんな風になってしまうのか、または「気づかれずに処分されてしまう」なんてことがあったら悲しいですよね。

ちょっとした日常の会話の中でも、どんな風にしたいかということを家族に話しておくのもいいかもしれません。

忘れたくない思い

人が亡くなるということ、これは実際に身近で起きなくてはその悲しみや切なさを感じることはできません。

中学生の頃、友人のお父様が亡くなられて、お葬式に行きましたが、実際どれくらい彼女の悲しみをわかってあげられたのだろうと思い起こすことがあります。

それは自分の父が亡くなったときに感じた事です。

大切な家族をなくした悲しみは計り知れないことで、いつまでも悲しむわけにはいかないけれど、いつまでも忘れたくないそんな思いがありました。

わたしは父とは一緒に暮らしていなかったので、形見わけをしてもらうことはできませんでしたが、小さなときに買ってもらった指輪は父の形見として今も大切にとってあります。

亡き父の思い出はそこにつまり、そして、いつまでもわたしの心の中に詰まっているのです。

亡くなった人はどんなに思っても帰ってくることはありませんが、形見や写真、手紙など、様々な形で心の中に思い出として残ることと思います。

形ある物だけが思い出ということではありませんが、日々忙しく暮らしていけば、時間に追われ、形ある物にふと心がいやされることもあると思うのです。

形あるもので、いつまでも悲しみに暮れてしまってはなりませんが、それは時間の経過が解決してくれる様な気がします。

そして、その物たちは優しい思い出となってくれるのではないでしょうか。

悲しい思い出は不思議なことに薄れていくものです。

残される思い出は楽しかったことや嬉しかったこと、自分だけの思い出が心の中にあふれかえることでしょう。

故人の品々を整理するということはなんとなく寂しいような気もします。

でも、この形見分けをすることで、故人を亡くした悲しい心を落ち着かせ、そして故人をいつまでも慈しむ心をもてるのではないでしょうか。

形見分けという言葉は美しい言葉ですね。

昔から使われて来た美しい日本の言葉であり、故人を思い出させる大切な品を分け合う優しい言葉でもあります。

形見を受け取ったら大切にしてください。

若い人には馴染みのない言葉かもしれませんが、いつかは自分にも関わることです。

それは自分の生きて来た証しでもあるし、そして誰かを思う心でもあります。

自分の大切にしてきた何かをどの様に処分するのかをいまこの瞬間にでも決めてみてはいかがでしょうか。